2005/3/18 金曜日

オペラ座の怪人

カテゴリー: 未分類 — ryu @ 2:03:22

会社辞めて法学の道に進んだ後輩と仕事抜け出して観てきた。四季のミュージカル観たのは思い起こしてみるともう13年前、高校3年のとき。13年…、果てしなく昔で記憶も色あせてモノクロームな思い出になってるけど、見た後、凄く感動したのは覚えてる。その後8年ぐらい前にNYCで見て、今回は映画だけど3回目だ。
NYCで見たときは、ブロードウェイで見てるんだ~とかそれ以外のこととか雑念が多くてあんまり考えることは無かったけど今回映画というある意味解りやすいメディアで観て、やっぱり良いなぁと感慨しきり。だけど13年前に好きになってCD買ったり、輸入版のCDまで買ったりしたあの頃と、今の気持ちが同じなのかどうかは解らない。ただあの頃ファントムに憧れて、ハッピーエンドをうそ臭く感じていたのだけは覚えている。

今、言えるのは自分が歳をとることでファントムに自己投影しやすくなった…ということ。自分の醜い部分を仮面で隠し、力を持ち、誰かを救えると思いつつも、本当は誰かに救ってもらいたい。この13年、隠さなければ成らない醜いものも増え、社会的にそこそこ慕われ、誰かを救えると思いつつも、本当は誰かに救ってもらいたい。無邪気な高校生だったあの頃と比べれば随分とファントムらしくなったものだ。見た目や力だけがすべてじゃない。しかし平気で人を殺すファントム。その彼に一体どんな力以外のものがあるの?というのがクリスティーヌの言い分なのだろう。仕事のために無茶もする、業者に無茶苦茶言ったりもする。確かにそういう姿を見ているひとにそれだけじゃないんだって言っても簡単には信じてはもらえないのだろう。

しかし、オペラ座の怪人はハッピーエンドではない。結局、ラウルが選ばれた。お芝居見ていたぶんには怪人とラウル・どちらが選ばれても良いぐらいラウルも良かった。というとラウル褒めすぎだが映画のラウルはそれに輪をかけて駄目駄目なのだ。それでもラウルが選ばれる。なんで?なんで?って思ってしまうけど今の社会そういうものなのかもと冷めた目で納得してしまうところもある。でもオペラ座の怪人を見てラウルかっこい~って言う人は少ないはず。見終わった後、幕が下りて明るくなっても座って泣いている人も居る。その涙は悲しさからか同情からか、それともそれ以外何か別なものからか。

ここまで生きてきて、万人に理解してもらえる性格じゃないのは痛いほど解った…つもり。ただだからといって自分のこのヤヤコシイひねくれた性格直せるものじゃないし仕事での無茶もやっていく。それに変わりは無い。自分は自分にできることをして望んだとおりにする。誰にも理解されないかもしれない。だけどそれでもいい。ファントムのように一人朽ち果てる運命だとしても、幕が下りたときに涙してくれる人が一人でも居るなら、居ると信じて。そしてそれは自分だけではなく、人もそうなんだろう。と。ファントムのように見える人でも実際それは問題じゃない。居てくれることを願うと同時に誰かのために泣ける一人で居られれば。

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