書くということ
締切に追われやっつけでっち上げで書く文章ではなく、推敲に推敲を重ねた文章を書きたい。仕様書でもなくメールでもなくきちんとした文章をだ。流して書く文章でもなく図形や表をちりばめて推敲を重ねた仕様書や資料でもなく、文字だけで文章を書きたい。と、書き出しては見た物の文章を書きたいというテーマで文章を書くには内容が無いという事に気が付く。問題は何故文章を書きたいと思ったかと言うところだと言う事に気が付く。
精緻なもの、熟考されたものを創り出す事に技を感じそこに価値が有る。その行為が自分にしかできない事で有れば有るほど自分の存在意義を感じる事も出来る。自分の創った物には有る一定の誇りを感じ、それなりに考えた上で創り出すのが筋。陶芸家が気に入らない作品をその場でたたき割る心情と同じ。そんななか締切に追われ時間が無く書く文章というのは精緻なものにはなりえず創り出す際に熟考する猶予もない。ただ締切に間に合うように創り出すというただその一点に於いてのみ意味を持つ。
そうした状況の中、創り出した文章であったとしても自分の創作物の一つである事には変わりない。その上それは締切があると言う事から解るように一般に公開されて然るべき物だ。そんな状況を招いたのは自分なので自業自得では有る物のそう言った状況で文章を公然にさらけ出す行為に対し恥を感じていると言う事か。それとも単なる言い訳か。
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